2015年02月12日
お客の本音を知る
お客の苦情は企業にとってお客の本音を知ることのできる唯一のチャンスであると、すでに一般企業が阻害要因であると考えていた時代に企業発展の促進要因だと私は訴え続けてきましたが、問題は余程のことでない限り特に日本のお客は苦情を言わないことです。
不満を持って苦情を言わないお客は再び来店することはまれです。
そこでお客の態度、仕草をつぶさに観察してなにも言わなかったが不満を感じたのではないか。
これを潜在苦情報告書として店長に提出させることを義務づけている会社があります。
そしてこの報告書の出し方が店長の業務査定に関係するのです。
大阪を本拠とする大和実業グループです。
北は札幌から南は鹿児島までエスカイヤクラブ、櫓茶屋などのチェーン店を経営していますが、店長は顕在した苦情の処理はもちろん、表に現れない客の不満を苦情報告書に書かなければなりません。
何番テーブルで料理の出る間にたばこを吸っていたお客がいたなども、報告書を書く対象になります。
それが店長の評価になるのです。
大卒対象の3カ月研修のプログラムに苦情処理と事故対策が組み込まれています。
不満を持って苦情を言わないお客は再び来店することはまれです。
そこでお客の態度、仕草をつぶさに観察してなにも言わなかったが不満を感じたのではないか。
これを潜在苦情報告書として店長に提出させることを義務づけている会社があります。
そしてこの報告書の出し方が店長の業務査定に関係するのです。
大阪を本拠とする大和実業グループです。
北は札幌から南は鹿児島までエスカイヤクラブ、櫓茶屋などのチェーン店を経営していますが、店長は顕在した苦情の処理はもちろん、表に現れない客の不満を苦情報告書に書かなければなりません。
何番テーブルで料理の出る間にたばこを吸っていたお客がいたなども、報告書を書く対象になります。
それが店長の評価になるのです。
大卒対象の3カ月研修のプログラムに苦情処理と事故対策が組み込まれています。
Posted by 大久保宏明
at 16:17
2014年12月16日
大久保宏明「朝が一番」
パーティーまでには、何としてでも仕上げたいとの一心が、最後の力を与えてくれる。
やはり、朝が一番。
そこで待ち受けている「十一の楽しみ」を、次に紹介してみたい。
「頭の状態にあわせた一日の時間割」では、時間帯毎にどんな作業が向いているかを紹介した。
そこで、情報入手に関して新聞・雑誌の閲読、テレビ視聴、手紙を読む・書くなどにふさわしいのは昼食後と就寝前だと説いた。
一つ、大切なことが抜けているのに気づかれた方も多いと思う。
ビジネスマンにとって、それらと同様に大切なはずの「読書」は、いつすればいいのか?
という疑問だろう。
単純に考えれば、知識や情報入手を主な目的とし、印刷物で「活字を読む」行為という点で共通する新聞や雑誌と同じジャンルに入るから、昼食後や就寝前の時間が適当だと考えがちである。
※大久保宏明=文章添削指導員
やはり、朝が一番。
そこで待ち受けている「十一の楽しみ」を、次に紹介してみたい。
「頭の状態にあわせた一日の時間割」では、時間帯毎にどんな作業が向いているかを紹介した。
そこで、情報入手に関して新聞・雑誌の閲読、テレビ視聴、手紙を読む・書くなどにふさわしいのは昼食後と就寝前だと説いた。
一つ、大切なことが抜けているのに気づかれた方も多いと思う。
ビジネスマンにとって、それらと同様に大切なはずの「読書」は、いつすればいいのか?
という疑問だろう。
単純に考えれば、知識や情報入手を主な目的とし、印刷物で「活字を読む」行為という点で共通する新聞や雑誌と同じジャンルに入るから、昼食後や就寝前の時間が適当だと考えがちである。
※大久保宏明=文章添削指導員
タグ :大久保宏明
2014年11月23日
大久保宏明「カクテル・パーティー」
このあたりが、立てばカラオケ、座ればマージャン、歩く姿はプロゴルファー気取りといった日本の多くの経営者たちとは大いに異なるところである。
カクテル・パーティーのとき、日本人はすぐに仕事の話をもちだしがちである。
中には日本から山のように持参した自社のパンフレットや、製品のカタログを、これみよがしにパーティーの席上で外国人に配り、したり顔をしている輩をみかけるが、こ
ういったなりふりかまわぬ、言わば特攻隊的な振る舞いが外国人たちから最も忌み嫌われるということに気が回らぬのであろうか。
カクテル・パーティーの席上では、仕事面よりもむしろお互いの趣味などについて語り合う方が、ずっと効果的ではないか、と私は常々思っており、そのように実行している。
※大久保宏明=文章添削指導員
カクテル・パーティーのとき、日本人はすぐに仕事の話をもちだしがちである。
中には日本から山のように持参した自社のパンフレットや、製品のカタログを、これみよがしにパーティーの席上で外国人に配り、したり顔をしている輩をみかけるが、こ
ういったなりふりかまわぬ、言わば特攻隊的な振る舞いが外国人たちから最も忌み嫌われるということに気が回らぬのであろうか。
カクテル・パーティーの席上では、仕事面よりもむしろお互いの趣味などについて語り合う方が、ずっと効果的ではないか、と私は常々思っており、そのように実行している。
※大久保宏明=文章添削指導員
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2014年11月22日
大久保宏明「生活信条」
私は彼らに改めて生活信条とか趣味など、仕事以外のことについて問い合わせをしたのだが、こちらへ知らされてきた答えをみて、思わずウーンとうなってしまったほど懐が深い。
日本人にも、趣味が広く教養のある人がたくさんいるだろうけれども、私が採りあげようとしている海外のRMプロの趣味や教養の深さは、けたはずれにスケールが大きい。
その中のある人物は、木工細工製作の面でも玄人はだしであり、油絵の有名な画家でもあり、動物に関する観察記の著者でもあり、アイスホッケーの選手と四人乗りボブスレーの選手としても名を馳せている。
しかも、児童文学書も十冊近く著しているし、ハンターとしての腕も超一流ときている。
※大久保宏明=文章添削指導員
日本人にも、趣味が広く教養のある人がたくさんいるだろうけれども、私が採りあげようとしている海外のRMプロの趣味や教養の深さは、けたはずれにスケールが大きい。
その中のある人物は、木工細工製作の面でも玄人はだしであり、油絵の有名な画家でもあり、動物に関する観察記の著者でもあり、アイスホッケーの選手と四人乗りボブスレーの選手としても名を馳せている。
しかも、児童文学書も十冊近く著しているし、ハンターとしての腕も超一流ときている。
※大久保宏明=文章添削指導員
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2014年11月21日
大久保宏明「目先の勝負」
あまりにも目先の勝負にこだわって、今場所なんとか勝ち越せばよいといった考え方にとらわれていたのでは、その力士は決して大成しないだろう。
中期・長期の展望に立って現在を処す、というアクティブな姿勢こそが大切な基本ではなかろうか。
他人からの教えに素直に耳を傾けることも大切と思うが、自分からいろいろ工夫して自分なりに学ぽうとする確固たる姿勢から、本当の知恵や見識や、それに裏打ちされた教養が身についてゆくものと思う。
五十人近いV・S・0・Pを兼ね備えた人たちは、ただ単にRMのプロとしてだけではなく、幅広い趣味をもっていて教養も高い。
RMのプロ中のプロの人たちの教養の高さには改めて驚かされる。
※大久保宏明=文章添削指導員
中期・長期の展望に立って現在を処す、というアクティブな姿勢こそが大切な基本ではなかろうか。
他人からの教えに素直に耳を傾けることも大切と思うが、自分からいろいろ工夫して自分なりに学ぽうとする確固たる姿勢から、本当の知恵や見識や、それに裏打ちされた教養が身についてゆくものと思う。
五十人近いV・S・0・Pを兼ね備えた人たちは、ただ単にRMのプロとしてだけではなく、幅広い趣味をもっていて教養も高い。
RMのプロ中のプロの人たちの教養の高さには改めて驚かされる。
※大久保宏明=文章添削指導員
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2014年10月15日
大久保宏明「ひとつの文を論理的に書く方法」
ひとつひとつの文が論理的な順序で並んでいれば、全体の文章はわかりやすい。
これは、ひとつの文の中でも有効な原理だ。
たとえば次のような文を考えよう。
私は、小説や詩で、意図的に話題を飛躍させて、あとで謎解きをすることで読者に強い印象を与えようとするテクニックが使われていることを指摘したい。
これはそんなにわかりにくい文ではない。
しかし、先頭の「私は」は最後の「指摘したい」が出てくるまで、解決されずに読者の記憶の中に保留されている。
また、「小説や詩で」は「使われている」が出てくるまで保留されている。
論理的な文というのは保留しなくていいということだから、これはまずい。
したがって、「私は」を「指摘したい」の直前に移動する。
また「小説や詩で」を「使われている」の直前に移動する。
すると、文は次のようになる。
意図的に話題を飛躍させて、あとで謎解きをすることで読者に強い印象を与えようとするテクニックが小説や詩で使われていることを、私は指摘したい。
さらにいえば、この「私は指摘したい」はなくてもかまわない。
このように、書き手がいま書いている内容について書くことを「メタ・ディスコース」と呼ぶ。
メタ・ディスコースが多くなると、文章は長くなり、わかりにくくなる。
この部分を削除してしまったらどうだろうか。
意図的に話題を飛躍させて、あとで謎解きをすることで読者に強い印象を与えようとするテクニックが小説や詩で使われている。
全く問題はない。
文は短くなり、より明確になった。
※大久保宏明=文章添削指導員
これは、ひとつの文の中でも有効な原理だ。
たとえば次のような文を考えよう。
私は、小説や詩で、意図的に話題を飛躍させて、あとで謎解きをすることで読者に強い印象を与えようとするテクニックが使われていることを指摘したい。
これはそんなにわかりにくい文ではない。
しかし、先頭の「私は」は最後の「指摘したい」が出てくるまで、解決されずに読者の記憶の中に保留されている。
また、「小説や詩で」は「使われている」が出てくるまで保留されている。
論理的な文というのは保留しなくていいということだから、これはまずい。
したがって、「私は」を「指摘したい」の直前に移動する。
また「小説や詩で」を「使われている」の直前に移動する。
すると、文は次のようになる。
意図的に話題を飛躍させて、あとで謎解きをすることで読者に強い印象を与えようとするテクニックが小説や詩で使われていることを、私は指摘したい。
さらにいえば、この「私は指摘したい」はなくてもかまわない。
このように、書き手がいま書いている内容について書くことを「メタ・ディスコース」と呼ぶ。
メタ・ディスコースが多くなると、文章は長くなり、わかりにくくなる。
この部分を削除してしまったらどうだろうか。
意図的に話題を飛躍させて、あとで謎解きをすることで読者に強い印象を与えようとするテクニックが小説や詩で使われている。
全く問題はない。
文は短くなり、より明確になった。
※大久保宏明=文章添削指導員
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